ワンピース1102話以降考察 |ボニーと太陽の関係

ワンピース1102話以降考察 |ボニーと太陽の関係

ボニーと太陽の関係|巨大な王国の思想は太陽の思想?

ボニーと太陽の関係について〜巨大な王国の思想は太陽の思想?〜についてこの記事をご覧いただきましてありがとうございます。

いい芝居してますね!サイト管理人の甲塚誓ノ介でございます。

この記事ではボニーと太陽の関係についての考察を

ボニーと太陽の関係|太陽に嫌われた数年間

 

ボニーと太陽の関係について〜巨大な王国の思想は太陽の思想?〜

甲塚
甲塚

ワンピース第1101話にて、ボニーは数年ぶりに太陽の光を浴び海に出たわけですが、そこには何か大きな意味があるような気がします。

今回はそれについて色々と書かせて頂きます!

 

太陽に嫌われた数年間

ボニーは5歳の時に母親と同じ青玉鱗という不治の難病を発症したわけですが、以後の4年以上、太陽に嫌われたと言えるような状況にありましたね…

あらゆる自然光に反応してしまう為に自宅である教会から出られないボニーは同年代の子供達から『吸血鬼』と呼ばれていました…

吸血鬼は基本的に不死であり人間を遥かに上回る能力を持ちながらも日光にあたれば灰になってしまうというような存在ですが、夜には外を出歩く事ができる為に青玉鱗は月光でも反応してしまう為、それを発症していたボニーよりは幾分かマシ…

あらゆる自然光は元が基本的に太陽の光なわけですから、やはり青玉鱗は太陽が天敵と言える事になると思うのですが、太陽の神ニカという存在が大好きであるくま親子にとってはあまりにも皮肉が過ぎますよね…

タイヨウに憧れ地上に移住する夢を持ちながら深海を拠点に生きている魚人島民と似たようなところも感じますが、ボニーが太陽に嫌われるというか太陽の恩恵にあずかれない状態にあった事には何か大きな意味があるように感じられます…

太陽にはポジティブな印象があり、希望の象徴であるように思います。

実際に人は日光を浴びずに生活すると精神を病んでしまうという事も分かってきているようですから、やはり人には太陽が必要なわけですがそれができない状況は、今のONE PIECE世界の縮図であるように感じられます。

個人的に、天竜人達は下々民が希望を持つ事を善しとしていないように感じられ、過去にも色々と書かせて頂いていますが、天竜人達はニカという神の存在を隠す事で、まるで空を覆う黒雲のように太陽の光という希望を民衆から遠ざけているように感じられます。

病気は天竜人のせいにはできないまでも、くま親子にとって天竜人は日光を遮る黒雲みたいな存在として影響を与え続けてきた…

また、青玉鱗によりボニーは更に日光を浴びるチャンスが無かったわけで、その辛さは耐え難いものがあったと思いますが、ボニーには病気が治れば父親と一緒に世界を見て回るという希望があり、それは父親こそが彼女の希望だった事を意味すると思います。

太陽に嫌われたボニーでしたが、ボニーには父親という太陽があったわけですよね!

くまとボニーはお互いがお互いの太陽

ボニーにとって父親くまは希望の太陽であり、くまにとってもボニーが太陽だったと思えます…

ジニーがいた頃は、くまにとってジニーが太陽だったかと思いますが、その太陽を失っていた頃のくまの心は闇に閉ざされ、かなりの無茶をやっていたようです。
それは希望を失っていた証だと思いますが、ジニーが残してくれたボニーが新たな太陽として希望を与えてくれた…

また、くまがボニーの太陽となった事を考えると、人は誰かの太陽として希望を与えると同時に誰かを太陽として希望を与えられれと言うような関係が成り立っているように思えます。

くまとボニーは親子なわけですが、誰かが誰かの太陽であるという関係性については親子以外にも成立するものだろうと思います。

人が太陽なくして生きられないように、人には人が必要…!

くま、くまの両親、ジニー、ボニーまたソルベ王国の人々というくま本人とそれを取り巻く人々の歴史には悲しく辛い出来事が多かったわけですが、ソルベ王国の人々は互いが互いの太陽となる事により、それらを全て乗り越えてきたように思います。

くまは自我と思考を失ってしまうわけですが、それでも彼の存在はボニーをはじめとする人々の心には太陽として記憶され、その心に陽を差し続けるはず…

これは人の意思は誰かに受け継がれるというようなONE PIECEという物語の大きなテーマにも繋がるものと思います!

何だか、くまの過去編には人と人の関係性についての強烈なメッセージを感じるんですよね…

しかしそれは、そういうテーマとメッセージだけでなく、しっかりと物語の大切な部分にも繋がっているのではないかと思います!

巨大な王国の思想について

くまはゴッドバレーでサターン聖に自分と同じように虐げられ苦しむ人々を救いたいと言っていましたが、サターン聖はそういう考えを物からお前達はほろびねばならないのだと返してぃした…

それからしてイム様達によって消された巨大な王国の思想の本質はそこにあると思われます。

誰かを救いたいという想いは、先程書かせて頂いた『誰かの太陽になる事でその誰かが自分の太陽になる』というような相互に太陽として希望を与え合うような相互太陽のような関係性もそれに繋がってくるように思います。

それを『太陽の思想』と呼ぶとして、イム様達はその思想が広まるのを非常に恐れ嫌ったのだと思いますし、それは現代でも変わらないだろうと思います。

くまの過去編には太陽の神ニカの名前が希望の象徴として頻繁に登場していますが、ニカは本来、誰もが知り信仰していたような神だったようですから、信仰する全ての人にはまさに太陽だったはず…

ニカへの信仰が宗教として成立していたのかわからないですが、宗教には教義があるはずですし、人が生きるに正しい道を教えているはずです…

だとしたら、人々はくまがそう思っていたようにニカのようになるべき生きなさいというような事が教義として存在するはず…

もしかしたら『汝、誰かの太陽たれ』というような教えがニカ信仰にはあったのかも知れないと思います。

くまの過去編はそういう意味で非常に重要なエピソードになっているような気がしてならないんですよね!

くまは自我と思考を失う前に必ず何か言い残すだろうと思いますが、それがどんな言葉であるのか非常に気になっています。

おそらくそれはイム様達が最も忌み嫌い不都合だと思うような事じゃないかと思います!

この記事の紹介は以上になります。

最後までお読み頂き誠に有難うございました!

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